昭和47年4月23日 月次祭         (末永信太郎)



 梅の花の信心ということが、まあ、合楽では再検討されております。信心辛抱、色々に銘々の手元のところでその信心辛抱、私にとっての信心辛抱とは、どういうようなことかという風に、まあ、検討され、まあ、修行の焦点がそこに、だいたい置かれておるように思います。
 私は先ほど、ひろみち先生がここで前講を勤めて、お話を聞いていながら、まあ、思ったことですけれども、信心辛抱というのは、ね、その辛抱の後に後味というものが有り難いというものだ、と。有り難いという答えが出て来るのが、信心辛抱だと、そういう風に思わせて頂いた。ね。
 ただ辛抱しておる、歯を食い縛ってという間は、ただ、それは辛抱であって、ね、信心辛抱ということではないと、私は思う。ね、信心というのが付いてるんです、信心辛抱、と。もちろん、信心とは真心、と。もう、書けば信ずる心とも書く、神心とも書く。ね。だからこそ、辛抱が出けるのである。ね。
 真にならせてもらうから、辛抱の出けんとこでも有り難く辛抱が出けるのであり、信ずるからこそ、辛抱が出けるのである。ね。ここの辛抱をし抜かせて頂いた後ことを思うたら、思うただけでも、なるほどそのことはきつい、そのことは苦しい。けれども、有り難い。
 有り難いという答えが出る、というところまで行った時に、初めて信心辛抱だという風に思うのです。だから、まあ、その前提としてですね、今日、ひろみち先生が言っておりましたように、最近、あの人の信心を見ておりますと、確かに、まあ、目を見張るものと言うとちょっと大げさですけれども、最近変わったなあ、と。もう、私が側におってそれを感じるくらいですから、たまに見えた方ならば、それがはっきり分かるんじゃないかと思います。なかなか大きく見よっても、側におってはそう分かりませんけどね、ものの半年も離れておりますと、えらい大きくなったなあとか、肥えたとか痩せたが分かりますけれども、いつも側におると分からないもんです。
 けども、それが私、最近感じるくらいですから、本人が精進しておることがです、感じられます。ね。言っておりましたように、もう、とにかく、朝の親先生のお出ましを、これどうでも頂かねばと一心発起させて頂いて、はじめておりますけれども、ただただ眠たいのが一心でございますち言ってます。
 ただ眠いとが一心だ、と。ね。だから、そこのところがね、私は通り抜けたところにです、私は喜びというものは頂けるもんだ、と。ね。初めて親先生のお出ましを頂いた。だから、有り難かったというのじゃなくて、ね、そりゃあ、1日2日から珍しゅうしてから、やっぱり有り難いかも知れんけれども、段々、それが一ヶ月も二ヶ月も続きよりますと、なかなか出来んと、こういうところなん。
 そこんところにです、ね、やはり、もう、ただただ眠いが一心でございますと言うておる。実感だと思います。ね。だから、その眠いが一心というところをです、通り抜けさせて頂いたその暁に、ね、有り難いというものは生まれて来るんだ、と。ね。おかげを頂きたい、それこそ、妙賀栄える富喜繁盛、と。富喜繁盛のおかげを頂きたいと、こう思う。ね。富喜繁盛のおかげを頂きたいなら、妙賀栄えるというところを通らなきゃいけん。妙賀というのは、賀びの妙と書いてある。
 賀びの妙というのは、お参りをさせて頂いて結構なお話を頂いてから、悦に行っておるという有り難い。面白い講談聞いてから笑うのと同じことです、大したことないんです。ね。教えを頂く、そしてその教えを行じる。行じることは、ただ眠たいの一心。まあ、眠たいだけのことじゃなかろうけれども、やれ眠たいの一心というところをやはり通り抜けさせて頂いたその向こうにです、ね、朝起きなら朝起きのけいこが出けさせて頂いて、目覚ましのおかげを頂かせて頂くということがです、しかも、その一心では、今朝の御理解に頂きますように、なるほど、自分が起きよるとじゃないなあ、初めの間は眠たい一心であったけれども、段々おかげを頂いて参りましたら、ね、神様がピチッと3時なら3時に目を覚まさせて下さる。
 (いや覚え?)になると、神様が揺り起こすようにして起こして下さることもある。または、お声を持って起こして下さるようなこともある。なるほど、自分が目覚まし、自分が目覚めると、自分が朝参りをしよるとじゃない、だからこそお引き寄せを頂いて有り難いと、こういうことになる。今日もお引き寄せを頂いて有り難い。お月次祭に皆さん、こうやってお参りをして来た。ね。
 お参りして来たというところからです、本当に神様のお引き寄せを頂き、神様に許されなければ今晩もお参り出けなかったんだと思うから、お引き寄せを頂いて有り難うございますということになるんですよね。そうでしょう。自分が参って来た、ところが、金光様の御信心は、その中には有り難うございます、おかげ頂きましたということでも、有り難うございましたでも、ね、お引き寄せを頂きましたでも、もう、それが何かその金光教用語のようになってしまってる。ね。
 (猫も杓子?)もただそれを言うだけというような感じが致します。おかげを頂きました、何ばおかげを頂いたかち、分からん。ね。お引き寄せを頂きましたち、自分で参って来とってから、お引き寄せ頂いたち言いよる。本当に神様に許されて参って来た。お参りしよう、お参りしようの一念を立てさせて頂いておるけれども、そこには神様が何とはなしにご都合おくり合わせを下さって、なるほど、お参りが出けたということになる。例えば、暇もなければ時間を持たない、お金もない。
 けれども、参りたいの一心であったら、そのお参りの時間だけは神様が何とはなしにおくり合わせを下さった。しかも、お賽銭まで、お初穂まで神様が用意して下さったというようなです、おくり合わせを頂いて初めて、神様から許されて参っておるんだなあ、ということが分かる。ね。その神様から許されて参っておる。それが、信心であり、けいこであり、その信心を自分の家庭に持って帰るというところが、信心だということですね。神様は疑えば限りがない、声もなければ姿も見えん、疑えば限りなし、恐るべし、恐るべしと仰せられる。そこで、私どもがお参り一つの上におきましてもです、神様のおかげでなからなければ参られないという事実。いんや、私が参って来た、いんや、私は自分で参って来たと言うけども、実際のところを辿らせて頂きますと、参らせて頂いておるという事が分かる、それが実感として感じれれるということ。
 ね、だから願わなければおられん、すがらなければおられん、今日もどうぞ夜のお月次祭にはお参りさせて頂きますようにというお願いを立てさせて頂いて、お参りが出ける。だから、お引き寄せを頂いて、初めてお引き寄せを頂いて有り難いということになるのですよ。ね。
 そういう、いわば信仰体験ですかね。そういう体験がです、日常の生活の中に、お百姓さんはお百姓さんの中に、商売人は商売人の中に、勤め人は勤め人の中に、ね、家庭で家を持っておる女の方達は例えば炊事場のご飯を炊かせて頂きながら、(おそうさい?)を作らせて頂きながら、(お白湯?)をさせて頂きながら、神様のおかげを頂かにゃ出けることじゃないなあ、と(   )ことが出ける、だから有り難い。
 終わった時には、心から(   )おかげを頂きましてということになって来るのである。そのおくり合わせを頂く、ね。それが、例えば、今日は私は、今朝は応用問題だ、と。まず、一つ朝参りなさ朝参りをどうでもこうでも一心発起させて頂いて、思い立たせて頂く。初めの間はただただ眠いが一心であり、辛いが一心であり、もうこのくらいでと挫折しようごとある。
 そこを辛抱するということはです、ね、それこそ、ただ眠たいが一心ということじゃないでしょうか。だから、その眠たいが一心というところをです、もう、(今日だん?)ご無礼しようごたるというところを大事にしなければいけない、と。その先なんです、神様が起こして下さることも、こう実感することは。ね。
 神様に許されて参ってるんだな、と。神様に許されて、この百姓仕事をしてるんだなあ、この商売をさせて頂いておるんだなあ、ということが分かるところから、日常生活がいわゆる、そのまま信心生活ということになる。ね。先ほど、ひろみち先生が言ってました。ね。
 これから、もちっとマシな信心を、信心辛抱に移って行きたいと、こういうのである。今のところは、ただ眠たいが一心だ。けれども、この眠たいが一心のところを辛抱し抜かせて頂く間が、それこそ三代金光様じゃないけれども、泣く泣く辛抱のところじゃなかろうか、と。ね。
 そこのところを疎かにしてはならない。その向こうに、妙賀がある。だから、自分のお願いしたおかげを頂いた、何かもろうた時だけ有り難い、信心っちゃ有り難いというのは、それは喜びではあるかも知れんけれども、賀びの妙ということではない。普通から言うなら、とても、さぞ辛かろう、さと苦しかろう。ね。さぞ冷たかろう、さず暑かろうというような中にあってです、寒さを感じん、暑さを感じんほどしの賀び。
 それが妙賀なの、賀びの妙なの。ね。その賀びの妙が土台であって、初めて富喜繁盛のおかげが受けられるというおかげでなからなければいけない。私は久しぶりで、シナ語で今日はさっきから御理解頂いた。以前は良う頂きよった。いつでしたか、椛目時代に内田のこうちゃんが、まだ西鉄に勤めておる頃でした。
 盲腸の手術をするちゅうわけですね。ところが、私はお届けしよると、そげな手術することいるかいて、まあ、言われちゃならんと思うちから、その、ここでお届けして、ツーッと行きますもん。したら、私がシナ語で頂くのがですね、(ほうりいちんつあいらい)て頂くんです。また、いつの日に会えるか分からん。私はそれビックリしました。公ちゃんて、あん公ちゃんじゃない、こうちゃん、こうちゃん。今、こげなこと頂いたばいて。今、アンタがおかげ頂きましたち言って向こうに帰ろうとしよったら、神様から、今ここで会うとるけど、いつまた会えるか分からんと頂いたら、こうちゃんが涙ポロポロ流してですね、実は今日は、盲腸の手術をしますち、こう言う。ね。
 まあ、盲腸の手術ぐらいと思うけれども、もし、盲腸の手術を間違えたらです、それが命に関わるようなこと。もう、いつ会えないことになるのかも知れんじゃないか、という訳なんです。実は先生、今日は盲腸の手術をさせて頂く。はあ、そういうことじゃった。
 ほえ、アンタお願いせにゃ行くもんかい。私が医者にかかっちゃならんとか、手術しちゃならんとかと言うわけはない。ね。そして、改めてそのことをお届けして行ったようにですね、私はシナ語が少し出けますから、シナ語で頂くことがあったです。今日はね、大多辛苦(たおしんくうら)と頂いた。ね。
 大変な苦労という意味なんです。ちょうど、ここでひろみち先生がね、ただ、眠たい一心でございますて言うた時じゃった。ね。今までは、ここのところがいい加減にされておった。ね。それを、最近ではその眠たいが一心のところを歯を食い縛って辛抱しておる。たおしんくうらである。大多辛苦ていうのは、大変苦労だという意味なんです。字は、大きい、多い。しんとは、辛い、くとは、苦いと書いてあります、シナ語で。だからね、苦労ということはね、確かに辛いことであり、苦いことなのですよ。
 これはシナ語から言うと、苦い思いをする、ね、辛い思いをする。ね。だから、苦いけれども、ね、辛いけれども。私は最近、この頃から朝鮮料理を頂いて、朝鮮ご飯を頂いたら、お雑炊の中のコショウは真っ赤になるように入れる。もう、ひいひい言うごと辛か、けれども美味しいです。
 ね、辛いとが、もう辛いという苦労じゃなくなって来た。苦いものでもそうですよね。(せんぶり?)のようにやっぱり苦いもんでもです、それは口には苦いけれどもです、これが自分の胃腸が丈夫になって行きよると思うたら、苦いけれども有り難い。その、けれども有り難いというのが妙賀なんです。ね。
 富喜繁盛のおかげを頂きたいならばです、いわば、普通から言うたら、さぞ辛かろう、さぞ苦かろうというような中にあってです、喜びを感じられるほどしの信心を妙賀と言うのである。だから、信心辛抱とは、その辛抱をさせて頂いて、その後味というものがです、有り難いという答えになって来なければ、それが信心辛抱ではないのだ、まだ。だから、本気での信心辛抱をさせて頂かにゃという事になるのです。
 今日、(ひげを?)当たって頂きよりましたら、電話がかかってきた、秋永先生から。今、吉井の杉さんところに行っとります、と。あちらのおばあちゃんが、ぜひ連れて参ってくれて言いなさるけん、今から行ってもいいでしょうか、という電話であった。だから、いいですよと言う、だから、それから、もう合間の20~30分しましたら見えられました。
 ちょうどヒゲ剃り終わっとったから、色々お話を聞かせてもらった。私、ヒゲを当たって頂きながらね、杉さんのおばあちゃんが見えるからということを神様にお願いさせてもらいよった。そしたら、オヒゲを当たって頂きながら頂くことがね、あのざっしょの餅というのがね、あの、ざっしょの餅でしょうね。あの、ご祝儀やら仏事やらん時にお餅をこう、親戚から持って行くでしょう、あれだ。あれが、白ばっかりのざっしょです。しかも上にあの、あれの、あれは何ですかね、あの、(落雁の子?)みたいなのがいっぱい(   )、それがもう、中の餅が見えんごとかけちゃる。
 その上に、南天の葉が一枚、とこう置いてあるというお知らせだった。ほお、落雁がたくさんかかっておるということも、南天が置いてあるということも、これには色々、大変な御理解が内容にあるわけでございますけれども。ただ、私がその、御神眼に拝ませてもらって、その、(セル箱?)一段のそのお餅がです、白ばっかりであるというところにですね、ははあ、これが杉さんのおばあちゃんの今の心の状態だなと思いました。もう、寂しゅうて堪えん。ね。もう、これが自分の命取りじゃなかろうかと思う。
 体はいつも虚脱状態、もう、萎えたようにきつうしてたまらん。と言うて、熊谷さん所に行ってお話を聞かせて頂いた時だけはよか。この頃も、秋永先生が行ってお話を聞かせて頂いたら、不思議にもう、私は体がシャンとしたち言われるぐらいにおかげを頂かれたと言うて、明くる日、杉さんがお届けしておられた。
 けれども、もう、それは、まあ、一日ぐらいしか持てん。不思議なことだ、と。ね、そこで、合楽の先生のお話を頂いたなら、ね、熊谷さんのお話やら、秋永先生のお話でも一日ぐらいは持つるとじゃけんで、合楽の先生のお話を聞いたら、一週間ぐらい持てるかも知れんち、まあ、いうところじゃったかも知れませんけれどもね。まあ、そういうことに(なっとるがなると?)分からんけれど、今日は大変喜んで帰られた。
 それで、私がその頂いたお話させて頂いたんですけれどもね、だから、こういう状態にです、例えば、んなら、赤の餅がこれに入る。白ばっかりのお餅に赤の餅が入る。赤ということは、(せきせい?)と言うたり、真心と言うたり、熱情だという場合に頂くんです。餅というのは、もちろん心持ちのこと。ね。
 自分の心持ちの上にです、ね、もう70だから、75だからと言うて、その、言わずにです、ね。例えば、熊谷さんのお話をさせて頂いたんです、すぐお近所ですから良く知ってある。ね。(三里もの所は?)朝参りをして来れるかと思うと、また夜の御祈念に参って来ておられる。それが、また参らにゃんというのじゃなくて、それがもう、何か熊谷さんにとっては、もう、ただゆういつの楽しみというような風にしか見えない。今日なんかは、昼にお供え物を持って来とられますから、三回参っておられる。ね。
 三里ずつ、例えば六里あっても、3分6、18里行ったり来たりしておられるのような訳なんですよ。ね。しかも、70いくつのおばあちゃんがです、どこから、そういう元気が湧いて来るか。そこで、杉さんのおばあちゃんに私が申しました。ね。だから、せめて一週間に一遍とか、五日に一遍とか、せめて月次祭だけはとか、そんなら、もう私の方にはもう、清子さんがずうっと出てばっかり歩いとりますから、私がいつも留守番せんならん。それけん、(家からごだっちゃ?)よかでしょうかち言うけん、いや、それは家から拝んだじゃいけませんよち。やっぱ、この熱情がなからにゃいけん。
 だから清子さん、今日はもう私が出て行くけんで、アンタが留守番してくれんのという日をいっちょ作んなさい。そして、月の内のアンタの都合のよかごとで良いけん、いつでも良いというのでなくて、何月何日の何時には必ず参るという、一つの信心の節度を作んなさい。
 そこに、心が生き生きとしてくる。これが、赤い餅、これが熱情、これが赤い心持ちであろうと言うて、まあ、話した。白と赤の餅があれば、どういうことになりますか。それこそ、これはもう、お葬式にでん持って行かんなんごたる風なお餅でも、それは、紅白の餅ということになりゃ、めでたいことになるじゃない、お祝いということになるじゃない。ね。そこに、信心させて頂く、本当の生き生きとした信心させて頂く者と、でない者の違いがあるんだ、と。ね。
 もう、お先は真っ暗、おかげ頂っきるやら頂っきらんやら分からん、信心しよったっちゃそうですよ。先に一つの確信がない。いつも心は迷うとる、いつも心の中は不平である、不足である、不満である。神様を信心と言うても、信ずる心というものがないからそうなんだ。ね。
 ですから、そういう信心なら、もうせん方がよかちゅうごたる感じなんです。ましてや、信心がないならばです、もう、これは私どもにはあんまりおかげは作りすぎたけんで、もう、私は死ぬとじゃなかじゃろうかというような思い方が、その白ばっかりのお餅のお知らせであったろうと私は思うのです。ね。
 そこで、例えば一週間に一遍なら一遍、それも私が朝参りが出けんから、いついつおられるかと時間を聞いて帰られましたが、その時間になったら必ずお参りをする、何時にはいつも、例えば吉井の杉が参って来るということになれば、神様もそのおつもりでお待ちになるだろう、と。
 私が朝の御祈念に、それこそ一秒間だって狂わせないのは、その訳なんです。早すぎてもいかん、遅すぎてもいかん。もう、それこそ、祝詞座に着かせて頂いた時が四時である。ね。これは、信心の一つの節度です。だから、それを守るために非常に心を使う、生き生きと。ね。そういう正確さというか、ね、そういう間違いのない生き方にならせて頂くところにです、間違いのないおかげが約束されるです。
 ね、お互いが、おかげだけは正確なおかげを頂きたい。ならば、お互いの信心もやはり、正確な信心。これだけは、もう正確無比と言われるような、その人その人の信心をです、自分の都合んよか時だけどん参るというごたることじゃ、私はほんなおかげは受けられんと思うがと言うて、まあ、話させて頂いたことでした。ね。信心辛抱の内容というものが、ね、それこそ、初めの間は辛うて辛うてよう泣きましたであり、ひろみち先生の場合は、ただ眠たいが一心だと言っておりますけれども。
 その眠たいが一心であるところを通り抜かせて頂いたところに、ね、辛うて辛うてで良う泣いたと仰る金光様がです、思うことも無くなる、欲しいものも無くなり、ただ有り難うて有り難うてという信心辛抱の答えが、有り難うて有り難うてという答えが出て来る。これを妙賀と言うのである。ただ自分の願いが成就したことに嬉しかったとか、有り難かったとかと言うけども、それはただ、有り難かったのであって、富喜繁盛に繋がるようなおかげではないということ。ね。
 富喜繁盛のおかげに繋がるようなおかげとは、ね、普通から言うならば、本当にさぞ寒かろう、さぞ辛かろう。それこそ、苦い思いをしよりなさることじゃろうという時にです、ね、私達がそこの中から喜びを分からせて頂くほどしの信心。もちろん、だから、そこには修行がいるわけです。ね。その時に、初めて頂けるのが妙賀である。ね。ああいう難儀な中に、どうして、ああいう信心の喜びが生まれたであろうか、と。
 これは、私自身の過去の信心を思うて、見るとそう、いつの場合でもそうであった。ああいう難儀な中に、どうして、人から見てもです、ほんなこつそげん有り難かっですかて問われるくらいに有り難かった。ね。そういう時代にです、ね、信心のない人達は、あの人はちょいと違うばいち、と思われるようなものを与えられるほどしに、有り難いというものが発散しよった。ね。
 いつか途中で正義さんが私と会うた。ああ、向こうから大坪さんが来ござるばいのと思いよった。そしたら、こう、分かれ道んところに立ったら、こうして御祈念しよんなはる。私はあの時に道を、そういう時には、もう、右を通って良いか左を通って良いかを神様にお伺いをするんです。ね。
 そして、神様が右と仰りゃあ、右の方の道を通るというような生き方の時代。それを遠くから見ておった正義さんがです、ね、本当に後ろ姿を拝みたい思いだったと、今でも言うております、あの時分のことを。私が(大木)から椛目の方へ、善導寺の方へ帰って来る。その道すがら、善導寺の街中に(殖産?)会社があった。その(殖産)会社に一時、妹が勤めておったことがあった。
 破れ服を着て、破れ鞄下げて、その前を一週間に一度ぐらい必ず定期便のように通る。その事務所から見ておったその(社長?所長?)さんが私の妹をつかまえて、ちょいと池尻さん、あそけへ通って行くござる人はどこの人か知らんばってん、あの人はただ人じゃなかばのち言って言わっしゃった。ああ、実はあれは私の兄でございますち言いよった。はあ、そうですかち。
 いつもあそこ、ここを通んなさるが、あの人はただ人じゃなかばの、というようなものがです、私は発散しとったの。別に偉そうにして通っとる訳でも何でもない。見方では、もうどこのルンペンじゃろうかちゅうごたる格好をしとるとだから。それでいてもです、あの人はただ人じゃなかばのと言われるようなものが、どこかにあったんです。ね。そういう、例えば難儀苦労、それこそ辛苦辛苦の中にあってもです、私の心の中には、もう、それこそ信心の喜びがいっぱいであったということ。ね。
 それが妙賀であった。それが妙賀であった証拠に、現在このような富喜繁盛のおかげを受けておるのでございますから。ね。信心辛抱とは、そういうものだ。初めの間はそれこそ辛うて辛うてよう泣いた、やはり。それこそ、眠たいが一心。そこんところでお互いが挫折するのである。そこんところをいい加減にするのである。そこんところを辛抱し抜かせて頂くその向こうにです、ね、いわゆる、神様から許されて、お参りをしておる、神様に許されて、今日があるのだということになって来る時にです、それが、全てが有り難いとお礼の申し上げれる対象になるわけです。ね。そこから生まれて来る心、それが妙賀である。
 本当に今日も辛い一日であった、けれども、本当に金光様、金光様で良う辛抱させて頂いたと思うたら、有り難涙がこぼれるごたるです。ね。そういう心がです、妙賀なんです。ね。そういう心に富喜繁盛が約束されるのです。妙賀栄える富喜繁盛であります。ね。信心辛抱とは、だから、その答えに有り難いという答えが出る辛抱であって、それが本当の意味においての信心辛抱。
 ただ、辛うて辛うてという間は信心辛抱ではない、ただ辛抱しておるんだということです。ね。信心辛抱とは、信ずるからこそ辛抱が出ける。神心になればこそ、この辛抱が出けるのだ。そういう辛抱をしておる時には、それこそ後ろから後光がさしよるごとある時ではなかろうかと思うです。ね。
 どうぞ一つ、おくり合わせを頂きましてね、せっかく信心のけいこをさせて頂くのでございますから、おかげが有り難いというだけではなくて、本気で信心が有り難いと分からせて頂いて。ね。普通の人が見たら、ただ腹が立つ、ただ情けないと思うようなことの中からでも、有り難いと答えが出て来るような信心辛抱を身に付けて行きたいと思います。どうぞ。